私の叔父は医者で、ゴルフが趣味でした。叔父がゴルフをしていた昭和30年代は、まだゴルフ人口も少なく、一部の人たちのぜいたくな趣味という時代でした。
叔父はミズノに特注したりして良いクラブを持っていたのですが、使わなくなったものをもらったのをきっかけに、遊び程度でしたが7歳から私もゴルフを始めました。
小学生のうちは叔父からもらったクラブを振って、ひものついた球を打つなど庭で遊んでいた程度でしたが、中学生になると打ちっぱなしの練習場に通い始めました。
東京の中学校に通う私の電車内での愛読書はゴルフ雑誌で、周りの大人からしたら不思議な光景だったことでしょう。
このころやがてはプロゴルファーになることを夢見ていました。家の近所のゴルフショップの店長が、青木功プロの兄弟子で、「我孫子流」のプロの技を伝授してもらいました。
家の近所にハンディゼロというプロ並みの素人のおじさんがいました。この人の長男と私は近所ということもあり、小さいころからとても仲良くしていました。
そうした縁もあって、そのプロ並みの素人のおじさんに練習場で会うと、とても良く教えてくれました。
こうした恵まれた環境もあり、私はゴルフにのめり込んでいきました。
練習場でまずまず思い通りの球が打てるようになったので、高校生になったとき叔父に連れられてコースデビューしました。
この初ラウンドの時のスコアを話すと、それを聞いた人、特にゴルフをやっている人は、「すごいですね~」と言いながら必ず表情が一瞬曇るので、たいていの場合は「忘れました」と嘘をついて(笑)言わないようにしています。
その後、叔父が市内の医者や会社経営者らと作っていたゴルフサークルに入れてもらい、大学生のころまで一緒にラウンドしていました。(続く)