人生の岐路(11)

私の家の前は国道になっているのですが、国道に面した門のところまで道路に沿って生け垣があって、門のところまで行かないと道路の両側から車が来るのかどうかわかりません。

当時はまだあまり車の交通量は多くなかったのですが、それでも一応国道ですので、それなりの交通量はありました。

私は庭の真ん中くらいから思い切りダッシュして、無事その国道を渡りきることができたなら生きていて良い、車にぶつかって死んだらそれが定めと決めました。

私は意を決してダッシュしました。やはり怖いという気持ちはあるもので、道路を渡り始めたときにチラッと右方向を見たら、3メートルくらい先にダンプカーが迫ってきていました。

今でもそのダンプカーの運転手の驚いた顔を記憶しています。あまりに突然のことですから当然、ダンプカーはブレーキをかけることもなく、通り過ぎていきました。

先日、とある心理学の研修を受けたのですが、そのセッションの中でユングが言うところの「自我が確立した時」について議論しました。

痛み、恐怖など自分の身体的感覚を通じて、自我が確立した経験を参加者の間で共有したのですが、私はこの経験を話しました。

ダンプの運転手さんにはお詫びしなくてはならないのですが、このことで自我が確立したことや、自分は生きていて良いのだと確信できたのは良いことだったかもしれません。

しかし、もしこのときダッシュのタイミングが0.5秒遅くて事故に遭っていたら、私はこの世にいなかったでしょう。

そう思うと我ながらとんでもない行為をしたものだと深く反省することしきりです。

この突然とんでもない行動を取ってしまうということは、その後の人生でも繰り返されてしまいます。たびたび行ってきたわけではありませんが、人生の大きな岐路で「発症」してしまうようです。

2025年12月18日