次に直面した人生の岐路は、39歳の時のことです。ある有名なヘッドハンティングの会社から声がかかりました。
ヘッドハンターから、ある会社の人事部長というポストを提示されました。その会社の社長と面談し、2000年1月付けで転職することを承諾しました。1999年10月のことです。
転職を承諾した後、同じ10月末に、当時勤務していた日本生産性本部のトップである理事長に呼び出されました。
管理職にもなっていなかった私が、理事長に呼び出されたのですから、一体何事かと思いました。
用件は、世界の人事プロフェッショナルで構成する組織の日本代表組織を設立する事務局を担当してくれということでした。
以前ブログに書いた世界連盟から生産性本部に対して、日本の代表組織を作ってほしいという要請があり、人選したところ私に白羽の矢が立ったということでした。
どういう構成のプロジェクトチームを編成するのか尋ねたところ、私一人だというのです。
文化の日までが連休で、翌日の11月4日に引き受けるかどうか返事がほしいということでした。
連休中、私は大いに悩みました。すでに人事部長として転職することを決めていましたが、人事のプロフェッショナルを集めた組織をつくるということも、大変やりがいのある魅力的な仕事に思えました。
何しろ日本の代表組織を設立するという経験ができるのは、日本で私一人だけということになるわけですから。
この代表組織を設立するという仕事は、自分のそれまでのキャリアで培ってきた知識や人脈の総決算のように思えました。
私は、人事部長の内定をもらっていた会社の社長に面談を求め、内定を辞退することの理由を説明しお詫びをしました。
すると社長は、大変残念だが協会設立は大変意義のある仕事なので頑張ってほしいというエールをもらいました。そしてその仕事が一区切りついたら、ぜひうちの会社に来てほしいとまで言ってくれました。
約束が違うなどと怒鳴られたりするのかと覚悟を決めていましたが、やはり良い会社の社長は器が違うな、などと思いました。
その会社の玄関に入ったときとは真逆のすがすがしい気持ちで、その会社を後にしたのを覚えています
その会社は今でも優良企業としての評価を得て活動しており、CMを見るたびに「もし私がその会社の人事部長になっていたらどうしていただろうか」などと考えることもあります