自分の人生の岐路を振り返るとき、もし別の道を選択していたらどのような人生を過ごしていたのだろうと考えることがあります。
最初の人生の岐路は、以前のブログ(「研修でよくある質問(2)」)に書いたように、進学する大学の専攻を社会教育に絞り、企業で人材開発を行うと決めたことでした。
元々は学校の先生になりたかったのですが、大学の案内を見ていたときに偶然、大人を教育する社会教育という世界があることを知りました。
もし学校の先生になっていたら、どんな先生になっていたのかな、などと考えることがあります。
教育学部でしたので、教職課程も履修して社会科の教員免許は取得しました。きっと教科書の内容はそっちのけで、世の中で起こっている様々なことを話題に取り上げて雑談ばかりしていたのではなどと想像してしまいます。
次の岐路は、拙著にも書いたように社会人4年目に会社を辞め、出家して臨済宗のお坊さんになると決めた時でした。
両親に会社を辞めて出家することを了承してもらい、師となるお坊さんのお寺に行って入門を願い出たのですが、「君は今の会社でなすべきことをすべてやったのか」と問われ、思いとどまりました。
もしあの時、入門を許されたらどうなっていたのでしょう。私の師であるそのお坊さんは、臨済宗妙心寺派の布教師の資格を持ち、さまざまなところに行って布教活動をしています。
そのお坊さんの師匠は松原泰道師といって、昭和天皇に座禅の指導をした人で、同じく布教師でした。
私も同じく布教師を目指して研鑽を積むことになっていたと思いますが、その布教師の資格を取ることは容易なことではありません。
私の師であるお坊さんから、その資格を取るためのプロセスを聞いたことがありますが、とても厳しいものです。
でももし受かったとしたら、親父ギャグ満載で笑いあふれる(?)布教活動をしていたかもしれません(笑)