よく言われることですが、自分の死を明確に意識してこそ、日々を、そして瞬間をよく生きられると。
今という一瞬は、すぐに過ぎ去り「過去」になります。一瞬の積み重ねが人生であるならば、自分の人生を充実したものにするためには、私たちにはその一瞬を大切にすることしかできないのかもしれません。
前回のブログで書いた弔辞の演習をしていたときに、私はふとある考えが浮かびました。もしこれが生前葬であったなら、弔辞に対して答辞ではありませんが、参列してくれた人々に対してメッセージを言うことができるなと。
普通の葬式では、自分はもう死んでしまっていますから、参列者に対して直接メッセージを送ることはできません。生前葬を前提として自分の人生を振り返り、参列者に対して自分が言いたいことを書いてみようと思いました。多分、このメッセージこそが、自分が心から成し遂げたいことになるのではないかと思いますので、あなたもぜひ書いてみてください。
後日、私はこのメッセージを整理して、自分のミッション・ステートメントと、目指す人物像に書き換えました。お恥ずかしい内容なのですが、以下に当時のまま転載します。
「私のミッション・ステートメント」
私は、家族を愛し、受容し、ともに育つことを人生の大きな柱とします。
私は、友人に貢献し、励まし、協力することを生活の基礎とします。
私は、自分の持つ能力を常に高め、開発し、発揮できるよう、質の高い職業人生を送ります。
私は、人材開発を一生の仕事とし、産業人、家庭人を問わず、広く人々の能力開発の手助けをすることで社会に貢献します。
私は、自分の精神を健全に保つため、優れた音楽、芸術、人に接し、心の安定性を高めます。
私は、自分の肉体を健全に保つため、あらゆる機会を通じて運動をし、食事に注意を払います。
「目指す人物像」
几帳面でありしかも融通がきく。細心にして大胆、規則を守ること厳正であるが時に見て見ないふりをすることもできる。
正義感が強いが、半面汚い手を使うこともできる。冷酷であるが人情味もある。
人を見て法を説き、忠誠心が強いが組織のためには人間など問題にしない。
下世話に通じしかも最高のマナーも知っている。
決して本心を表すことはないが人に恐れられてはならない。
熟慮することもできるが、とっさの判断にも事欠かない。
常に汚れ役を引き受ける。そんな人に私はなりたい。