「当たり前のことを当たり前に行う」。言葉で言うことは簡単ですが、実際にできるかどうかということは、なかなか難しいのではないでしょうか。もし全ての人や国が、当たり前のことを当たり前に行うことができていたら、世界はもっと平和でしょう。また企業で当たり前のことを当たり前に行うことができていたら不祥事など起こらないでしょうし、企業目標が達成できないなどということはないはずです。
GEに勤めていた頃、大阪で開かれた講演会に招かれてGEでどのようにしてリーダーを育成しているかといった講演をしました。講演中、最前列で腕と足を組んで、うなずくことなくジッと私の話を聞いている年配の参加者が目にとまりました。私の話が終わり、司会者が会場から質問をどうぞと言ったとき、その年配の参加者が真っ先に手を上げました。
「GEの話だというから、何かすごいことをやっているかと思って話を聞いていたが、やっていることは至極当たり前のことばかりではないか」といった趣旨の質問というか意見・感想でした。私は、「はい、おっしゃる通りGEという会社は、ごく当たり前のことを当たり前に実行しているだけの会社です。」「ですがこの世の中で、当たり前のことを当たり前にできている企業はどれだけあるでしょうか」と、その年配の参加者に尋ねましたが、反応はなく下を向いて黙っていました。
私はGEで経営幹部に対する育成プログラムの責任者をしていました。毎年40人程度、アジアを中心に中東やヨーロッパから参加者が集まります。その研修は2週間連続で開催され、1週目と2週目で国を変えて行っていました。その研修の参加者たちは皆、勤務している国の事業部門や職能部門のトップ・リーダーばかりです。ビジネスに関する専門能力やリーダーシップなどは総じて優れている人ばかりです。そもそもその研修に参加するためには、アジア太平洋などといった地域レベルで見て、トップ10%以内に入っているということが必要条件になっていますので、優れていて当然です。
しかし、2週間も一緒に過ごしていますと、だんだんと気が緩んでくる参加者がいるのも事実です。2週目の最後の夜は、その研修の「卒業ディナー」ということで、大変に盛り上がります。夜の9:30ごろにはお開きとなるのですが、その後の行動は参加者の自由です。ですが私はディナーの解散前に毎年、同じ注意をします。「明日は朝8:00きっかりに研修を開始する。8:00に教室のドアを閉めるので、1秒でも遅れたら教室には入ることができない。すなわちこの研修の修了認定もなされず、人事情報の研修履歴にも残らないので注意するように」と。まるで修学旅行に行った中学生に言うようなことではないかと思うかもしれませんが、時間を守るということは当たり前のことであり、大切なことです。最後の夜だからといって朝まで飲んで騒ぎたい気持ちは分かります。しかしまだ翌日の午前中には2週間を振り返るという大切なセッションが待っているのです。
私の上司がこの研修の責任者をしていたとき、私は事務局として参加していました。その上司が先の注意事項を参加者に告げていたのです。そして最終日、金曜日の朝、2人の参加者がギリギリで8:00の研修開始時間に間に合いませんでした。その上司は私に、「ドアを閉めて鍵を掛けるように」と指示しました。私は本当にやるのかと驚いたものです。その2人はせっかく2週間頑張ってきたのに、ほんの1-2分遅れただけで皆との集合写真の入った修了証書を手にすることができませんでした。企業のエグゼクティブだからといって遅刻して良いということは、就業規則のどこを見ても書いてありません。当然のことです。私も上司の例にならい、その研修プログラムを引き継いでからは、参加者が私と約束したことは厳しく守らせました。
GEでは「当たり前のことを当たり前にできない」と、厳しい罰が下されます。罰せられるのが嫌だから当たり前のことを当たり前にするということではありません。当たり前にできない人を放置しておけば、他の人たちは当たり前にやらなくても問題ないと認識するでしょう。これが怖いのです。GEでは業績未達の責任を取って、トップ・リーダーは自ら身を引いていきます。その代わり業績を挙げれば、とてもいいことがあるのは当然です。信賞必罰という言葉がありますが、これが上から下まで徹底しているのがGEです。
「当たり前のこと」には、基準と求める水準の両方が必要です。ある国や企業では当たり前のことが、よその国や他の企業では当たり前のことではないということがあります。また、当たり前のことという基準は同じでも、その基準に対して求める水準が違うということもあります。例えば「コンプライアンス」という基準があります。これに対してどの程度の水準を求めるかということを考えれば分かりやすいでしょう。法令を犯すことがなければよいとするのか、法的にはグレーなことも許さないとするのか。
「神は細部に宿る」という建築家の言葉があります。細部にこだわってこそ、良い建物ができるのであって、決して細かいことをいい加減にしてはいけないということです。アメリカの陸軍士官学校、通称「ウェスト・ポイント」では、「悪魔は細部に宿る」と教えています。戦争では細かいことをいい加減にすると、部隊ごと全滅してしまうのです。
ほんの些細なことだといっておろそかにすると、やがて大きな災いに発展することを先人たちは経験的に分かっています。ですから、世の中の常識とされていること、その国の常識とされていること、その会社の常識とされていること、こうしたことをきちんと守って実行するという、とてつもなく基本的なことを実直に行えるかどうか、これはグローバル・リーダーとして最低限身に着けておかなくてはならない要件です。
どこの会社でも新入社員教育を実施しています。しかしいつの間にか、そこで教わった当たり前のことを忘れてしまい、世間から見たら当たり前ではないことがその会社や組織の当たり前になっているということを多く見かけるのはとても残念なことです。グローバルに展開する企業では、いま一度、果たして働いている自分たちの取っている日常的な言動や態度は、世界レベルで通用するものであるのかどうか、客観的に振り返ってみる必要があるのではないでしょうか。