研修講師としての手応えとは

以前のブログにも書きましたが、「のれんに腕押し」「糠に釘」のような感じを受ける研修参加者が多数を占める会社がある一方で、「打てば響く」「一を聞いて十を知る」という参加者がほとんどという会社もあります。

こちらの話に対する参加者の反応やチーム討議の活発度がそのような印象を決定づけているのでしょうか? それらも一因かもしれませんが、研修講師としての手応えを感じるかどうかは、やはり参加者からの質問の質や量によるのではないかと思います。

こちらからの質問に対して、参加者からの回答がどのようなものか、それ以前に回答がないということも多くありますが、それだけによって手応えというものを考えてしまうと少し表層的な把握の仕方になってしまいます。

こちらの話にうなずくこともなく、メモも取らず、腕組みをしてじっと聞いている人が、非常に鋭くて良い質問をしてくれることがあります。その逆のパターンもよくあります。こちらの話に対してとても良い反応を示し、メモも良く取っている人が、必ずしも大きな学びを得ているとは限らないのです。良い反応を示して、良い質問ができる人というのは極めて少ないのですが、そうした人が理想型かもしれません。

参加者からの質問は、教える側の人にとってはとても多くの学びや気付きを与えてくれます。自分が気付かなかった視点や切り口を教えてもらえますし、足りなかった情報を獲得しようというモチベーションを得ることができます。

また、自分ではよく説明したつもりの内容なのにその点について理解していないような確認の質問が出たとしたら、自分の教え方が良くなかったのではないかと反省のきっかけにもなります。参加者が良く聞いていなかったのだろうなどと、人の責任にしてはいけません。

プレゼンテーションの研修で、参加者に対して「プレゼンをする時、もっとも嫌なことは何ですか」と尋ねると、そのほとんどが「質問を受けること」と言います。私が「なぜですか?」と聞きますと、「質問に答えられないと恥ずかしい」「自分が試されているようで怖い」といったネガティブな反応が返ってきます。そうした参加者たちに私は、質問に対する"パラダイム・チェンジ"を求めています。

質問をいやがる人たちは、その心の中で、発表者と聴衆はあたかも「敵と味方」のような関係を築き上げてしまっています。そうではなく、発表者と聴衆は同じゴールに向かう仲間同士なのだから、聴衆からの質問は自分のプレゼンの至らなかった部分を補ってくれる"サプリメント"なのだと教えています。

同様に、通常の研修における質疑応答についても、そのパラダイムを変える必要があります。それは講師側も参加者側もです。研修講師が良い質問を投げかけることができるということは当たり前のことですが、参加者から良い質問がたくさん投げかけられるような「場」や「雰囲気」「メカニズム(仕組み)」を、講師側がお膳立てしてあげる必要があります。

参加者から質問がないから、皆良く自分の話を理解してくれたのだろうなどとは夢にも思ってはいけません。良い質問が出ない講演や研修は失敗だと思った方が良いでしょう。参加者から良い質問がたくさん出れば、それは講師としての手応えとして認識できますし、参加者が能動的に学ぼうとしている態度の表れと言えるでしょう。

2024年07月15日