研修は、実にさまざまな業種の大企業を中心に、日系、外資系を含めて実施しました。その間、ちょっと不思議な体験をしました。GEで7年半教えていたときには感じたことがなかったことなのですが、一言で言えば変な疲れ方をしたということになります。GEにいたときは毎年、30週間以上連続して国内外で教えていたのですが、そのハードな研修スケジュールをこなしていても経験しなかったような疲れ方です。
先日、午前中に1社で教えて午後別の会社で1社教えたときに、その疲れの原因が分かった気がしました。GEで教えていたときは、こちらから参加者に対して最大のエネルギーを放出して教えましたが、こちらも参加者からエネルギーをもらえるので、そんなに疲労感はなかったのです。疲れたとしても心地よい疲労感でした。
参加者の熱心な議論、鋭い質問、こちらの話に真剣に耳を傾けて視線を私からそらさない、重要なポイントはメモを取る。いずれも当たり前の事かもしれませんが、私が話していることや仲間たちとの議論が参加者に確かなものとして受け止められているという実感がありました。そのこと自体からこちらもエネルギーをもらえます。「打てば響く」という感じでしょうか、こちらの放出した分のエネルギーはきちんと返ってきました。
その日午前中に教えた会社は、この1ヶ月半の間に他の数社で感じた疲労感と同じものを感じたのです。そして午後に教えた会社ではまったく異なる爽快な疲労感を感じました。
午後の会社は、GE同様にとても素晴らしい参加者からの反応があり、大変に盛り上がった研修となりました。その日の午前中と午後のセッションは、内容的にもほぼ同じでこちらの話し方も同じであったのですが、反応がこれほど違うのはもちろん参加者が違うからです。ここで「変な疲れ」の原因が分かりました。
例えば官僚的な社風を持つ会社、目標達成至上主義の会社、メンバー同士のコラボレーションがなく個人プレー中心の会社の参加者たちに研修をしていると、こちらが放出したエネルギーは反射して返ってくることがなく、吸い取られてしまうのです。それは研修に対する意義づけがきちんとなされていないからでしょう。
研修は自分の利益にならないというパラダイムを持っており、バイアスが彼らの意識を支配しています。そういう人たちを相手にすると、肉体的な疲労感というより精神的な疲労感が大きくなるように思います。以前にも、ある目標達成至上主義の会社で研修を数回、異なる参加者を対象として実施したときに感じたのは、「のれんに腕押し」「糠に釘」でした。社風ということも関係すると思いますが、「選抜研修」と「必修研修」の違いもその要因のひとつでしょう。
必修研修の参加者は、研修会場にいることについて"義務感"が表情や態度に如実に表れます。なぜ必修研修の参加者に義務感が漂うのか、企業の人材開発担当者は考えなくてはなりません。それが当たり前だろうと思ったなら、その担当者は人材開発担当者として失格ですね。