研修の事務局や参加者からよく聞かれる質問のひとつが、日本で教えるのと海外で教えるのとでは何が違うか、
どの国で教えるのが最もやりがいがあって、またその逆はどの国か、ということです。
教えるということにおいて、日本と海外との違いはたくさんあります。大きな違いのひとつは、1冊目の拙著『世界最高のリーダー育成機関で幹部候補だけに教えられている仕事の基本』で書いたように、日本人に教えるときは噛んで含めるように丁寧に教えねばならないということがあります。
海外ですと何かを教わった場合それをどのように職場で応用しようかと、参加者の多くは自らのこととして能動的に考えようとしますが、日本の場合はそのプロセスまでこちらが導いてあげなくてはなりません。つまり過保護な教え方が必要になるわけです。
もうひとつ大きな違いは、質問です。日本人はとくに標題のような考え方がしみこんでいるせいでしょうか、とにかく質問することは「恥」であると思っているようです。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という言葉は、恥をかいてもいいから分からないことは聞きなさいということなのでしょう。一見素晴らしい言葉に思えますが、この言葉はやはり聞くことを「恥」と考えている点で、良くない言葉だと私は思います。
日本で教えていて、こちらが「ハッ」とさせられるような質問に出会う確率は1%くらいですが、海外、とくにシンガポールなどで開催する研修では10数カ国の参加者が集まりますから、「ハッ」とさせられる質問のオンパレードです。
この「ハッ」とさせられる質問によって教える側としての経験値が上がっていきます。教える人はエライ人で、教わる側は黙って聞く人という構図は、儀式としての研修をつくり出すだけです。そうした場ではビジネス・インパクトをもたらすような成果を生み出したり、ズバ抜けたトレーナーを育てたりすることはできないでしょう。
最近、研修や講演で「好奇心」の大切さを説いています。いまさらながらと思われるかもしれませんが、日本人の好奇心は海外、とくに開発途上国の人たちに比べてとても少ないと言わざるを得ません。好奇心が十分にあれば、人や物事について知りたいという欲求が自然に湧いてきます。
この好奇心は、20歳くらいまでにその基盤が出来上がってしまいます。家庭での子供の育て方や学校教育が、果たして子供の好奇心をかき立てるようなものになっているのでしょうか。グローバルに活躍するトップリーダーたちに共通して見られる特性のひとつは、その旺盛な好奇心です。好奇心の前では、「恥」などという気持ちは吹き飛んでしまいます。
私たちは、小さな子供の頃に持っていた好奇心をどこかに置き忘れてしまったのではないでしょうか。あるいは大人としての「分別」という美名のもとに、好奇心を覆い隠してしまっているのかもしれません。3冊目の拙著『経営幹部
仕事の哲学』では、この「好奇心を解き放つ」ことについて書いてみました。