大学を卒業して就職したシンクタンクで、職能別セミナーや月例研究会を一般企業向けに行うチームに配属されました。
人事や経営企画の実務経験がないのにもかかわらず、当該分野の部課長たちを対象としたセミナー等を企画しなくてはなりませんでした。
その後、管理職にもなっていない20代の頃から管理職の研修をしたり、経営者でもない自分が経営者を相手にしたセミナーを開催したりすることに、えもいわれぬ違和感をずっと抱いていました。
それは実務経験が無い「負い目」のようなものから来る違和感だったと思います。
あるとき、経営者を集めたセミナーの講師として、当時NHKの解説委員として政治評論で活躍されていた大山昊人氏をお迎えしました。
講師控え室で大山氏と事務的な確認を終え、雑談をしていたときに、思い切って大山氏に質問をしました。
「私は実務経験がないにもかかわらず、こうして経営者向けのセミナーを企画しております。まだ管理職にもなっていないのに、管理者研修の講師をすることがあります。」
「大変失礼ですが、大山先生は政治家としてのご経験がないにもかかわらず、政治の評論をされています。」
「私は自分に実務家としての経験が無いことに非常に負い目を感じながらこの仕事をしていますが、大山先生はそうしたことをお感じになることはありませんか?」
後になって冷静に考えてみますと、大変失礼な質問です。ですがそのときはそうしたことを考える余裕さえないほど、切羽詰まっていたように思います。
すると大山氏はお叱りになるわけでもなく、大変穏やかに私におっしゃいました。
「医者になるためには、すべての病気にかかる必要がありますか?」
私は「いえ」と答えました。
大山氏は続けて、「ですよね。こういう症状が出ている場合は、こうした病気が原因と考えられる。こうした病気には、こういう治療法がある。そうしたことを学ぶことで医者になれますよね。政治評論も同じです。」
私の中で何かがはじけるような感覚があったのを覚えています。それからますます管理者や経営者向けに書かれた本や雑誌を読むことを加速しました。
しかしどうしても実務家としての経験がないことの負い目を払拭することができず、シンクタンクをやめてMBAで学び直した後、約10年間、実務経験を積むことになります。
大山氏が医者になるためのたとえ話をされましたが、医者になるためには臨床経験が必要ですものね。