インターネットもメールもなかった30年以上前の話です。当時20代の私が大変お世話になった人から、「若いうちに南米を旅してこい」というアドバイスをもらいました。その人は、ペルーの日系人コミュニティーにコネクションを持つ人で、自身も南米に行ったことで、視野が広まったとのこと。後になってそのアドバイスの意味が理解できましたが、多様な価値観に若い時に触れることの大切さを教えたかったのだと思います。
そのコミュニティーで中心的な役割を果たしていたH氏を紹介され、早速「手紙」を書きました。返信には快く迎えてくれる旨が書かれており、早速旅行会社に行き、旅行プランを立てました。パッケージツアーではなく、南米1人旅を企画し、ブラジル、ペルー、エクアドルの3カ国を15日間かけて旅することにしました。本当はアルゼンチンにも行きたかったのですが、旅行会社の担当者から治安の問題があるので1人旅での訪問はやめたほうがよいとのこと。少しビビリました。この南米1人旅の間に遭遇した出来事や経験だけで本が1冊書けそうですが、本日はポイントを絞って。
ペルーの首都リマに着くと、紹介を受けたH氏が、日系人コミュニティーの主要なメンバーに声をかけてくれて、私の歓迎会を開いてくれました。その会食中、ペルーの社会情勢や日系人コミュニティーのことなどいろいろな話を聞くことができましたが、一方で参加された皆さんから日本のこともたくさん聞かれ、とても和やかな雰囲気で会食は進みました。
すると1人の参加者(ペルー政府の幹部)から、「日本人もあと20パーセントくらい南米の血が入ると、国際社会に受け入れられるのだけどなぁ」と言われました。会食中、たしかにたくさんの話題で盛り上がったのですが、30年以上経った今でも、この一言だけは記憶に鮮明に残っています。「南米の血」という言い方は誤解を生むかもしれませんが、私は「ラテンの人々のような陽気さや気楽さ」の意味と受け取りました。
当日の日本はバブル景気華やかなりし頃。日本製品は自動車や電化製品などをはじめ、世界で冠たる地位を築いていました。日本国内ではバブル景気に皆が浮かれていましたが、海外での日本人に対する評価については、「3D」と揶揄されていました。3Dとは、英語でDull、Dark、Difficultの頭文字です。つまらない、暗い、気難しいといったところでしょうか。ペルーの日系人の方の指摘は、日本人も真面目一本槍だけではなく、もう少し心に余裕をもって明るく行こうや、ということだったのでしょう。
当時、海外のMBAに行った人たちから聞いた話ですが、入学してから1週目は、日本の経済的成功の秘訣は何だと、クラスメートからたくさん質問を受けたと言います。2週目は日本の社会や文化などについて聞かれた。3週目には学生である本人たちに対する質問があった。しかしその質問に対する回答がつまらなかったのか、4週目からは誰にも質問されなくなった。まさに3Dだったと。
GEで教えていたときを含め、この20年の間に数々のグローバル研修を実施しました。クラスには10カ国以上の人々がいます。研修中のオン・オフを含めて、明るい笑い声の中心に日本人がいることは極めてまれです。真面目さはもちろんとても大切です。しかしそれだけではグローバルな環境で受け入れられるためには不十分です。不真面目、ではなく、非真面目でいこうではありませんか。ちょっとだけでもラテンのノリをまねながら。